みなさん、こんにちは・こんばんは、ポチです。
2015年の3月に僕は会社に雇われるという
働き方を捨ててフリーランスという働き方を選び、その道を歩むことになりました。
どうしてその道を選ぼうと思ったのか、
どんなきっかけがあったのか。
僕自身の体験をもとに働き方や行動に関する考え方を書いていこうと思います。
働いて感じた理想と現実のギャップ
最初の就職は、北海道にあるテレビ局の営業職。
「おまえ就職どうすんの?」って聞かれたら、
「絶対テレビ局入ってやる!」っていうくらいどうしても働きたかった業界だった。
だからこそ、入社するのをすごい心待ちにしていたのは今でも覚えている。
入社して実際に研修が始まってみて、いろんな部署を回れば回るほど「うわ、めっちゃ楽しい!」と、毎日ワクワク、ニヤニヤしていた。
もともとテレビっ子だったのもあって、
バラエティ番組とかドキュメンタリーを作りたくてテレビ局に入った。
正直最初から希望の部署には入れないんだろうなってことは予想はしていた。
ただ、予想外だったのは番組制作のメンバーは10年間全く異動が起きてないということ。
これを聞かされた時に最初に思ったのが、
「え、まじか!?」ということ。
それと同時によぎったのは
「この会社にいても、自分がやりたいことってできないんじゃないか?」そんな考えだった。
その違和感は最初は小さいものだったけど、
働けば働くほど、ちょっとずつモヤモヤが強くなっていくのを感じた。
「おはようございます」
そんな挨拶がほとんどない職場環境にも違和感を感じたし、先輩たちも眉間にシワよせながら疲れた顔してパソコンと向かい合ってる。
自分が想像していた職場のイメージとは大きくかけ離れていた。
そしてその年の12月ごろ、
好きな仕事はいつの間にか「嫌いじゃない仕事」に変わっていた。
「仕事してても楽しくないし、まじで愚痴ばっかりの飲み会には行きたくない」
「なんでわざわざ上司の愚痴を聞くために飲み会に行かなきゃいけないんだ?」
入りたくて入った職場だったのに、
気づけば嫌なところしか目に入らなくなっていた。
世界の広さを知った20代後半
当時27歳の僕はもっと世界を広げれば、
自分と同じような考えを持ってる人や話が通じる人が絶対いるはずだ。
そう考えるようになり、異業種交流会やカフェ会などにどんどん出かけるようになった。
自分が勤めていた会社はネームバリューが強かったので、とにかく名刺を配って名前と顔を覚えてもらうことに必死!
とにかくいろんな人に会って話を聞いて、視野を広げまくった。
出会った人の中には自分で飲食店やってる人、
梅酒を広めるための普及活動をしてる人、
音楽で食べていこうとしてる同世代の女性など。
そういう場にいる人たちって、
まぁとにかくキラキラしてて楽しそうにしてるわけですよ。
やっぱり自分の世界は狭かったなと、
というか自分次第ではこんなに世界って広がるだなということもわかった。
何よりもこんなに楽しそうに生きてる人っているんだなって、知ることができた。
理想と現実のギャップから退職を決意
その中でネットワークビジネスをやっている
大学の先輩と知り合うことになる。
今でもそうだけど、当時からネットワークビジネスに特に悪い印象はまったくもっていない。
むしろ、やってる人たちとの方が話が合った。
働き方に対しての考え方や価値観が似ていたし、
なによりもすごく前向きなところに惹かれていった。
自分の世界が広がれば広がるほど、
どんどん会社にいるのがすごく窮屈に感じてくるようになった。
でも働かないと生きていくためのお金が得られないし、そんな葛藤と戦っているうちに毎朝起きるのも辛く、仕事へのやる気もなくなっていった。
そんなこんなで2年目の秋に最初の会社を退職することを決意、都内のベンチャー企業で働くことに。
会社に守られていたことに気づく
テレビ局の正社員という肩書きを捨て、
業務委託という形でベンチャー企業に属することになった。
大学の後輩が立ち上げた会社で、
メンバーは僕含めて3人(インターン生を含めても10人未満)ほど。
仕事量は増えたけど、毎日新しい刺激はあるし違った世界が見えることで充実はしていた。
ただ当時はそんなに利益が上がってるわけじゃなかったから、手取り5万とか10万とか。
このときに綺麗事抜きにお金ってめちゃくちゃ大事ってことに気づく。
普通に生きて行けないと思い、週に2回、土日を使って接客のバイトも始め、ダブルワークという形と貯金でなんとか食いつないでいた。
そしてテレビ局という看板が外れ、
ベンチャー企業の1人になったときに名刺を配っても相手にされない。
ここで自分は大手っていう看板に守られていた、
生かされていたんだなと気づくことになった。
人生迷子状態に
実はそのベンチャー企業に勤めていたのも半年くらい。
そのあとには農家で4ヶ月ほど養鶏業をやってみたり1ヶ月ニートしたり、最終的には派遣社員という形でテレビ局にもどることになった。
でもこの頃にはなんのために働いてるのかよくわからなくなっていたんだ。
お金のためだけにやりたくもない仕事に自分の時間の大半を持っていかれることに対して違和感しかなかったし、そんな働き方しかできない自分にもどかしさすら感じていた。
とにかく働きながらでもできることはあるはずだと、仕事終わりにはいろんなセミナーに行ってみたり飲み会に行ったりととにかく行動は止めなかった。
自分の人生を自分でコントロールしたい
一本のLINEが僕の人生を大きく動かした。
弟が事故ったのである。
寝不足のまま雪道を運転しトラックに激突して車は吹っ飛んだらしい。
幸い大きな怪我もなく、大事には至らなかった。
でもすぐに駆けつけてあげることができなかった。
「もし、会社を辞めても生きていけるくらいの収入が他にあったら・・」
すぐに弟のところに行ってやれたのに、と頭をよぎった。
そして「自分の人生を自分でコントロールできるようになりたい」と、本気でそう思った。
僕は会社に雇われなくても生きてる人たち(いわゆる起業家、フリーランス)の存在を知っていたことが大きかった。
もしここで会社で働く以外の選択肢を知らないとか、そこにめちゃくちゃこだわっていたらと考えると今でもゾッとする。
井の中の蛙にならないでほしい
ずっと同じ会社、同じ業界で働いていたりすると、どうしても今いる場所から動きづらくなる。
それは自分の可能性や自分の人生を狭めているのと同じことだと僕は思ってる。
ほんの少しだけ一歩を踏み出してみたり、
自分と違う世界で生きてる人の話を聞いたり、
今までやらなかったことをやってみるだけで世界はものすごく広がる。
世界が広がるってことは、自分の人生の選択肢が増えるということ。
「やりたいことがない」「将来の目標や夢がない」っていうのは今までの自分の世界の中にはなかっただけのこと。
これからいろんな経験をしていく中で、
目標や夢が見つかっていく可能性なんていくらでもある。
同世代に伝えたいこと
僕は今年で32歳になる。
僕の周りだと20代後半くらいから周りは安定や周り目を気にして、新しいことにチャレンジすることをしなくなる人が多い。
というか、腰が重くなるって感じか。
でも医療が発達して長生きできるようになった人生を20代も後半だしとか、30代だしとか年齢で決めてしまうのってすごくもったいないと思う。
今じゃ知らない人の方が少ないタレント壇蜜さん。
彼女も芸能界では遅咲きと言われている28歳で、
オーディションがきっかけで芸能界でブレイクしてる。
まだまだ自分の知らない世界なんてたくさんあるし、もっともっとできることだってたいくらでもあるはず。
できるわけないとか、自分に無理って可能性を押し込めるのはそれこそいつでもできる。
そういうことこそ後回しにして、自分とは違う世界で生きてる人の話を聞きに行ったり、やったことないことをもっと積極的にやってみてほしい。
自分の人生は自分が決めていいものだし、選択肢は無限にある。
どんな選択肢があるかは自分の知識や経験の量で変わってくる。
今いる自分の世界やコミュニティではなく、
たくさんのことを経験することで自分の世界を広げて行って欲しい。