「明日から企画のリーダーよろしくね!」
この一言が僕の最初の転機だったのかもしれない。
大学1年の冬に起こったある出来事
埼玉の高校を卒業して浪人生活を経て北海道の大学に進学した。
僕が入学した学部は2年の9月までは札幌で過ごすんですが、2年の10月から卒業までの期間を函館で過ごすことになっていた。
札幌での生活は1年半、そうなるとやっぱり思い出を作っておきたいなぁと思ったんです。音楽サークルに入ってバンド活動に明け暮れたり、学祭のクラスのリーダーになってみたり、当時は車も持ってなかったから自転車でいろんなところに出かけてみたり。
そしていろいろ経験した中でも大学1年の冬に経験した「札幌雪祭り学生実行委員会」が人生の大きな転機になったんです。
アウェーの中で自分の殻を破った体験
もともと人見知りで自分から積極的に前に出るタイプではなかった僕は「最初まであーなんとなく思い出づくりにはなるかな」位の気持ちで参加することにしたんです。
今思えば、この「なんとなく」という感じでも行動を起こしたことが良かったのかなって思える。
雪まつりの実行委員会というのは6月のYOSAKOIソーラン祭りのメンバーでが中心となって構成されていて、最初はアウェーだなと思った。それでも当時の僕には何となくワクワクするなと感じたので参加することにしたんです。
そして、僕の人生を変えるような出来事が起こったのは最初のミーティングが終わった1週間くらいたってからのこと。当時僕がやってみたいなと思う企画のリーダーをしている人からの突然のメールでした
「俺さぁ、別にやることもあるから柴崎くんにリーダーまかせるね」
「え!?この人何言ってんの?」と思ったのを今でも鮮明に覚えています。
ただでさえアウェーな空間だなぁと思っていたのに、そのうえリーダーだなんて。そもそも知ってる人もいないし、なんでおれ!?という感じ。
全く想像もしてませんでした。
とは言え頼まれた手前断ることもできず、「やるかぁ」と思いリーダーをやることにした。
とにかく試行錯誤の連続
メンバー自体はもともと決まっていたけど、わからないことだらけだったからとにかく見切り発車で色々とやってみよう!という感じでスタートしました。
僕らが担当する企画は「カーリング」。
その年初めて立ち上がった新企画だったので本当に手探り状態からのスタートでした。何を準備したらいいのかどんなことを考えたらいいのか全く想像も出来ず。
当時はスマートフォンもないし、パソコンとインターネットがつながる友達の家に入り浸ってひたすら調べ物をしたり企画の物品の準備をしたりしていた。
基本的にはこの頃から授業に出ることも少なくなり最低限の単位を取ることだけ考えて学校生活を送っていました。
とにかく時間あるときは誰かの家に集合して、寝ないで会議したり準備したり、気づけばコタツでみんな寝落ちしていることもしょっちゅうでした。でも、楽しかったなって今でもすごく思います。
「とにかく今の自分たちにできることを全力でやろう」
その一心で皆頑張っていたことは今でもすごく脳裏に焼き付いている。
全然うまくいかない
僕が学生実行委員会に入ったのは大学1年の12月の頭で雪祭り本番は2月の頭。
実質しっかりとした準備期間はたったの2ヶ月ちょっとしかなかった。
あれよあれよと年末を経て、お正月が終わり本番まであと1ヶ月をきっているにも関わらず僕たちの企画はまったく完成が見えない状態。
屋外でカーリング体験をするという企画だったのですが、「ストーンとブラシはどうするの?」とか、「実際のリンクってそもそもどうやってつくるの」かなど問題は山積み。
リンクづくりは特にしんどくて、、
今でも思い出すとよくやってたなって思うんですが、氷点下の真夜中に雪の降るなか、近くの公園に1時間毎に行ってひたすらに水を撒く。そして凍った氷の上にまた水をまく。この繰り返し。
これをほぼほぼ毎日やり続けるという。
ここまでくると大学の授業なんて出てる余裕なんてなくなるので、テスト以外は基本的には代返でどうにかしてもらった。
とにかく動く!動く!
とりあえず立ち止まっててもしょうがないし、できることは全部やろうと決めて動き出した。
学生ってとくに失うものってないからめちゃくちゃエネルギーが有り余っていたんだろうなぁ。
スケートリンクに電話をかけてはアポをとり、どうやって氷を張っているのかを聞いたり、カーリングの体験ができる場所に電話をかけては実際に現地まで行って話を聞いてみたり。
結局、頭であれこれ悩んでたとしても実際に行動しないと何も始まらないということを感覚的にわかっていたのかなと。
そうやって企画の成功に向けて一心不乱で動いた結果、なんと実際の大会でも使われるカーリングのストーンとブラシを借りることができたんです。しかも本来は貸し出しなんてしてないということだったので本当に特別な配慮だった。
とにかく嬉しかった。やってて良かった!と心底思った。
ようやく兆しが見えて来た、あとは本番までこの動きは止めてはだめだ。そこからもずっと動き続けた。
この段階で大体本番1週間半前。ただ、カーリングのリンクをどうやってツクッタラいいのかという解決策は全く見えてはいなかった。
どうしてこんなに試練を与えるんだろう・・
本文2週間番ぐらいから実際に雪まつりの会場での準備も進んでいく。僕らの企画だけ夜中に泊まり込みで水を巻いたりする必要があったので体力的にも精神的にも結構きつかった。
本番の1週間前になってもリンクがうまくできず企画中止かなとさえ思っていた。そしてそんな状態でさらに悲劇が起きたのは、まさかの本番の3日前。
思いっきり雨が降ったんです、しかも稀に見る土砂降り。
確かにその冬は担当だと言われていて、例年に比べて雪の量も少なかった。だから正直他の企画もいつもよりは準備に苦戦していた。
でもさすがに雨はダメでしょ・・
もうこのときほど絶望を感じたことはなかったし、この時ばかりは本当にもうダメだなと思った。
自分のチームのメンバーだけではなく、学生実行委員会全体でも僕たちの企画は無理かなっていう諦めのムードだったんです。
実際に本番3日前になってもリンクに関してはどうやって作ったらいいかもまだ定まっていなかった。でも、なぜかなんとかなる!っていう無駄な自信が僕にはあったんです。
なんでかはわからないけど、なんかどうにかなると思っていたんです。それについてきてくれたチームメンバーには今でもすごく感謝をしている。
だから、その時できることがあれば諦めないで全力で続けていたし、とにかく目の前のできることに集中して他のことは一切考えてなかった。
2アウト満塁からの逆転劇って本当にあるんだな
本番2日前に、まさに絵に描いた状況が起きたんです。
実は僕たちの企画って、たまたま新聞社に取り上げられていたんです。目新しさもあったのと、当時カーリング娘というのが流行っていてカーリングブームだったのもあったと思います。
そしてその記事を読んでくれたある会社の社長さんから協賛ということでプレゼントが届いたんです。
その社長さんが経営してる会社、実は札幌のスケートリンクのリンクを作っている会社だったんです。実際にそのリンクを作るために使っている特殊な布を無償でくれて、しかも社長さん直々に会場に来てくれて使い方までレクチャーしてくれたんです。
おかげで企画も大成功!来てくれたお客さんに楽しんでもらえてたのが何より!
打ち上げの時はめちゃくちゃ嬉しくて思いっきり泣いたのを覚えてます。
この体験で学んだ大きなこと
いつのまにか人見知りもしなくなり、他の人の目も気にならなくなったり、大切な仲間も出来ていました。
そんな体験から学んだことは大きく2つ。
1、諦めないで頑張っていれば、その姿を必ず見てくれている人がいるということ
2、とにかくチームのみんなを信じて1つのことに集中して突っ走ることの大切さ
この2つは今でもすごく大切に持っている心構えなんです。
社会人になって色んな本を読んだりして「確かに大切だな」って思っていたこと、実は学生時代に無意識な部分でわかっていたんだなって思いました。
学生時代は難しく考えず、その時その時をしっかりと生きていたんだなって。
でも、それって学生だからできたというわけじゃないと思うんです。大人になったら出来ないって決めつけちゃってるだけなんじゃないかなって思いました。
今いろんな挑戦もできるようになったのも、いろんな人と関われるようになったのもこの時の経験があったから。
もっともっと僕たちが次の世代に楽しい姿を見せていけたらいいなぁと思っている。