最近は外に出ると半袖か薄手のパーカーを着てるくらいがちょうどいい気温になってきた。
この時期くらいから、家の中にいたり
仕事場の席にかじりついてると勿体無い症候群がおきる。
今日も家の近くのスタバのテラス席に移動してきたところ、風が心地よすぎて困る。
たまに肌寒いかなと感じるけど、心地よいから許す。
家で引きこもるのも好きだけど、
開放的な空間にいるのも好きという僕が考えた結果が、
テラスがあり本棚があって作業スペースがある家にすれば開放的に引きこもれる。
自分の集中スペースというか、
自分らしくいれる空間づくりはものすごく大切。
自分気持ちにあるがまま
自分の人生をわがままに生きることが
一番自然なんじゃ無いかと思う。
先日久々にテレビ局時代の同期とご飯を食べてきた。
ちょうど去年の今時期くらいに会ったので実に1年ぶり。
会社を辞めてから去年まで5年くらい会ってなくて
積もりに積もった話をした。
仕事がどうだとか、
結婚がどうだとか、
同期のあいつがどうなったとか。
すごく些細な話を3時間くらい話したのを覚えている。
みんなそれぞれ好きなことをして好きに生きてるんだな。
働き方より生き方
会社員だからとか、フリーランスだからとかという
カテゴリーなんてどうでもよい。
自分の好きなことをしてる人っていうのは、
いつの時代になっても輝いて見えるんだわ。
そんな中でたまたま僕は会社や組織に縛られることが
肌に合わなかったから雇われるということを辞めただけ。
僕はいいと思ってるけど、強要はしない。
肩ひじ張らずに自分らしい生き方ができれば働き方なんていくらでも選べる時代だから。
選べるからこそ別の選択肢を選びたいと思ったときに
選べないのはつらい。
だからこそ少しでも準備はしておくべきだと思うんだ。
準備さえしておけば安心だし、
何より柔軟に対応できるようにもなるわけだからね。
その柔軟さを奪っているのはなんなのかを考えてみると、
それは旧時代の考え方なんだと思う。
旧時代と言ってもそんなに昔のことを言っる訳じゃなくて会社の上司や先輩、いわゆる「いい大学出て、いい会社に就職すれば大丈夫」論をぶつけてくる人たちのこと。
特に日本は上から言われたことに対して『NO』というのが苦手な人種だからね。
もっとみんなが自由に発言できるような雰囲気になったらまた少しずつ変わってくるのかな。
言葉だけじゃ足りない
でも、実はそうやって待っているだけじゃ何も変わらない。
組織や環境を変えるってかなりエネルギーかかることだしね。
「うぉおおおぅおうおおぉ!」って言って
どうにかなるものでじゃない。
どうにかなるのであれば、
おそらくテレビとかがトップニュースで特集をしてくれるはず。
そうなると、やっぱり自分自身が変化をするしかないわけ。
嫌われたくない、プライドが許さない、人に頼れないとかいろいろあるとは思うけど、
結局現状を打破したかったら自分から行動を起こしたほうがいい。
そのうえで環境が良くないとか、なんかちょっと違うなと思えば思い切って飛び出してしまえばいい。
なんでも自分次第
結局はどういう風に生きていたいか、
どういう風でありたいのかだけだと思う。
思いっきり自分のやりたいことに向き合って
『それはどうやったらできるようになるかを考えて行動』に移して実際にできるようにするのか、はたまたやりたいことはできなくてもいいから今のままの環境で安全安心にいたいのかとか。
僕はやりたいくないことにずっと時間を費やすよりは、
やりたいことに時間を使っていきたい。
いい意味でわがままに自分の人生は歩いていきたいもの。
自分の気持ちに正直になるのがいいってよく聞くけど、
そんなんじゃ足りない。
もっとわがままに自分らしく生きるのがいいと思う。
そのために必要なことであれば周りからみたら大変なことでも、そうは感じなくなるだろうしね。
結果そうなると、いい意味で周りも諦め始める。
『ああ、あいつはそういう人なんだな』って。
それでも自分の型に無理にあてはめようとしてくる人、
そんな人に関しては、あんまり関わらないことかな。
関わらなきゃいけないときは仕事だと思えばいい。
人生はわがままに
人生は1回。やりたいことはやったらいい。
ある程度の縛りはあったほうがいいけど、
変に縛り付けすぎないで思ったままにやってみたらいい。
周りの人の目を気にしていたところで何も始まらない。
むしろ、始まらないで終わってしまうほうがもったいない。
最初は否定されたり色々とやんややんや言われれるかもしれないけどさ。
しっかり行動してる人のことを、行動してない人がとやかくいう権利はないはず。
もっとわがままになんでもやってこう。
見てくれてる人はいるはずだし、そこからもっと世界は広がっていくからさ。