認められたいと思う気持ち


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僕は昔から人と違うことをすることに対して

面白さややりがいを感じることが多かった。

 

例えばみんながiphoneを買うなかで、

その当時だとまだ珍しいAndroidにしてみたり。

 

仕事仲間が全員Macを使っているのに、

僕だけwindowsパソコンを購入してみたり。

 

単に目立ちたいだけっていうのもあるけど、

そんな自分を見て欲しかったり

受け入れて欲しいっていう承認欲求が強かったんだ。

 

 

人は認められたい生き物

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誰でも承認欲求っていうものは持っている。

 

その大小は人によって違うとは思うけど、

小さい頃に認められた経験が少ない人ほど

成長するにつれて大きくなる傾向があると思う。

 

僕自身がまさにそうだった。

 

僕は父親から認められた経験が少なくて、

できないところを指摘されることが多かった。

それでも父親に認めてもらいたかった。

 

 

認められるために

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振り返ってみれば、

自分の行動や発言は誰かに認めてもらいたい、

誰かに構って欲しいという気持ちが強くなった。

 

人と違うことをやってみたり、

小さなことでも「すげーだろ!」と

自慢気に話すようになったり。

 

ビジネスをやる理由も

結局はお金を稼ぐことで認められたい、

自分の価値を感じたいという理由だと気づく。

 

だからこそ自分の力や知識をつけることに対して

貪欲になれた、がむしゃらになれたって意味では

良い方向に力が働いた気がする。

 

 

つらい時期を経験して・・

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認められたいっていう気持ちを抱いて、

ビジネスをやったり日常生活を送っていると

どうしても気分が落ちたりするときもある。

 

 

そりゃそうだ。

 

 

そう思ってもなかなかコントロールできなくて、

そんな自分がふがいなくて悔しくて、

どうしていいかわからなくなった。

 

そんな時に相談した僕の師匠にあたる人から

僕の人生をものすごく有意義に過ごしやすくする

ある言葉をいただいた。

 

この言葉があったから今の僕があるだろうし、

何より気持ちが落ちなくなった。

コントロールできるようになったというべきなのかな。

 

言葉そのものに救われたというよりは、

考え方に救われたっていうのが正しいかな。

言葉はそれを伝えるための道具だからね。

 

 

そんな自分も自分

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その師匠に言われた言葉っていうのは

誰にでも当てはまると思う。

人によっては受け入れるのに時間がかかるかもしれない。

 

当時の僕にとってはものすごく腑に落ちる、

そのとき欲しかったものだったんだと思う。

どんな言葉かというと・・

 

 

そんな自分も自分だから受け入れてあげないとね

 

 

どういうことかっていうとね、

承認欲求の強い自分も満たされないとイヤな自分も

受け入れてあげようということ。

 

自分で自分を認めてあげようや!っていう話。

 

あ〜、確かにそうだな・・

自分で自分を認めてあげられてないから

誰かに認めてもらいたくなるんだろうなって。

 

腑に落ちた瞬間だった。

 

これって実は結構難しいことでもあったりする。

嫌いな自分を受け入れることって

最初はすごく苦しいし反発する心もあるだろうしね。

 

いきなりできる人の方がすくない

 

でもこれは意識の問題。

 

無意識にできるようになるためには、

最初は意識して始めることで

徐々に身についてくるから大丈夫。

 

 

まとめ

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誰かに認められたい

自分を見て欲しい

構って欲しい

 

そう思うこと自体は自然なことだし、

生きていればだれでも抱く感情だしね。

 

でもまずは、自分で自分を認めてあげて欲しい。

 

それができるようになれば人の目を気にせず

もっと自然にもっと身軽に

自分の人生を送れるようになるはずだから。